遷流寺(せんりゅうじ)

 寺号は円珠山光円院遷流寺。浄土宗のお寺で、本寺は上毛かるたの「太田金山子育て呑龍」で有名な太田市の大光院、本尊は阿弥陀如来さまです。

 開山は沼田氏の一族、川田四郎光清(円珠姫の父)です。光清は沼田氏とともに真田氏に敗れましたが、その後遁世して名を光円と改め、下川田町宮塚の円珠姫の旧庵(現在は宮塚の薬師堂)を円珠庵として開基したそうです。

 その後の慶長11(1606)年、下川田町滝にあった阿弥陀山川田寺が焼失したことにより、聴蓮社諦誉上人が小林処右衛門直重を大檀那として、五反田の薬師十王堂(現在の遷流寺の場所)に円珠庵を移し、併せて伽藍を建立し、竜泉院川田寺と号しました。(阿弥陀山川田寺と円珠庵を合併させたということでしょうか?)

 さらに天和元(1681)年、4代目の現蓮社専誉上人が堂宇を改造し、円珠山大誠院遷流寺と改称しました。

 

  参考資料 『川田村誌』

       『群馬の古寺 北毛編』あかぎ出版

 

寺宝等

円珠尼坐像

円珠大法尼無縫搭

 無縫搭(主に僧侶の墓塔として使われる石塔で、塔身が卵形という特徴がある)のお墓で、「開山竜泉院殿月錦円珠大法尼 嘉吉二戌壬年八月十六日 維持竜化□歳三百×七〇」と刻まれているそうです。

 上で紹介した坐像のモデルであり、この無縫搭に刻まれている円珠大法尼は、戦国の詩姫である円珠姫とは別の人物かもしれないという説もあります。ちなみに嘉吉2年は1442年です。

円珠について書かれた掛け軸

※読み下し文は協力者さまの承認を得てから掲載します。

 

 内容的に「保元5年(1160年?)の頃、圓珠前が叡空(平安時代後期の僧)の名代として来臨した源空(法然上人のこと) から説法を受けた」という内容が書かれています。

 こちらも戦国の円珠姫とは別人なのでしょうか。

印籠型厨子(いんろうがたずし)

 ご住職のお話によれば、この厨子は、浄土宗の開祖である法然上人から直に賜ったものだそうです。

 厨子の扉を開くと、阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)が安置されています。

 また、裏側には、この厨子の由来と思われる文章が刻まれています。

 刻まれている文字は以下のとおりです。

  永歴元庚申年

  黒谷尊師奉政所

  送本尊御遣者

  法然房源空上人也

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