『加澤記』謙信公御逝去並昌幸沼田御行附石倉之事

本文

天正三年真田家ヘ下知有て東上州の守護にと被仰渡ければ昌幸不斜悦び吾妻へ出張海野兄弟に評定有て利根郡高平村保鷹山雲谷禪寺に宿して目付を被遣沼田の儀一々御尋有て沼田先方侍金子美濃守を語らひ内通有て沼田筋御發向也。掛りける處に天正六戊寅年三月十三口謙信入道逝去有ければ甥の長尾喜平次景勝と北條氏政の末男三郎と申を關東より呼越參らせ景虎と名付兩人ながら養子と約束有けれども譲なく風と逝去成ければ本丸二の丸間にて合戦有り、此由三郎景虎の臣遠山左衛門、山中民部右衛門、小田原に告ければ氏政聞給て景勝退治有んとて舎弟美濃守氏明氏邦大將にて先陣松田尾張守相隨人々には千葉小山宇都宮由良本庄高山倉賀野太田丶丶丶丶川村小幡長尾大胡石野佐野清水太郎右衞門塀賀伯耆守都合三萬餘騎、先陣氏邦沼田に著ければ後陣は武州川越にさゝえたり、三郎景虎生害の由告来りければ如何思召けるか皆々小田原へ引返れける。沼田に被差置ける越後衆南方出張の聞え有ける前方、皆々越後へ退去也ければ其節沼田の城には猪股能登守邦憲を本城、二ノ丸に渡邊左近進、北條曲輪に藤田能登守、此藤田は謙信より沼田に被籠けるが越後衆皆々退去の節蹈留りたる心指を感じ邦憲沼田に被差置ける也。三ノ丸に先方侍金子美濃守被置ける、此附勢高田高山竹内山室栃原白倉小野長沼、此人々には足軽大将にて都合小田原勢二百餘騎、沼田地衆降参の人々百八十餘騎、雑兵共に二千餘人、倉内に楯籠而塀賀伯耆守盛助は関八州の奉行たるにより沼田仕置として折々沼田へ被参けるが馬飼料として森下沼須の郷領知せられけると也。共頃猪股塀賀戸鹿野八幡宮へ神領被寄進ける。

      神領之事

     八貫文   春中寄進

     拾貫文   此度改寄進申候荻野封馬守分

  右地令寄進候間當座當城堅固相抱子々孫々繁栄之祈念頼入者也仍如件

    寅五月二十日   邦憲 在判

           八幡宮 栂野別當坊

      神領之事

     壹貫五百文   沼巣之内

  右之地寄進申候間武運長久子々孫々繁榮之祈念頼入侯以上

   八日

             盛助 在判

               別當坊參る

邦憲沼田守護代に被居けるに依て所々へ立願し給ける、かくて川田伯耆守も共節迄沼田に被居けるが大病故奉公不叶して由良殿を頼て新田郡へ蟄居し給ける、川田の家臣中村新太郎新田迄附隨けるが新田より立歸り真田家に属したり、中村何右衛門祖父也、川田殿沼田に八年被居けると中村何右衛門物語也けり(覚堂曰、此一段の記事前にも出で玆には重複したれど名前の異同所在年数等、寧ろ前を可と思はる)景勝は武田北條兩家敵也ければ謀を廻さんとて北條丹後、直江山城、長尾伊賀、栗林肥前、庄田主馬評定有て甲府へ和談せんとて長坂長閑、跡部大炊介に金子千兩宛贈り、貴老殿に頼入候旨被仰遣勝頼に壹萬兩被進上州口働申間鋪候何卒御取置被下候様にと御頼有ける、長坂跡部様々勝頼へ申成しけるに依て小田原の縁者を捨て景勝と一味被成ける、北條殿へも五千兩被進けると也、共頃沼田は北條家を背き甲府へ忠信の侍悉く大炊介取持にて證文被下ける、有増記之、

       定

以忠節在所退出之由に候間沼田御本意之上於彼庄之内八拾貫文之所可被下置侯、猶依忠信可有御重恩之旨被仰出者也仍如件

 天正六年戊寅五月二十三日(朱印)

       跡部大炊助泰之

       原澤惣兵衛殿

同日原澤大蔵へも朱印被下候

       定

 一五拾貫文   山口孫右衛門

 一貮拾貫文   澤浦隼人

 一參拾貫文   原澤彌三郎

  右以忠節在所退出候由に侯條沼田御本意之上如此可被下置候由被仰出者也仍如件

 年月日同上   跡部大炊介奉之

翌廿四日に山口孫左衛門を式部丞に被成、御朱印被下ける。猶も小田原より沼田御仕置有り、利根郡石倉村に石倉三河と云者有り、渠は先年上杉管領之幕下群馬郡石倉之城主也けるが聊の子細有りて在所を被沒收利根郡秋山兵部にたより、今泉の郷に蟄居たりけるが、一とせ憲政公御浪人有りし時、沼田彌七郎殿を頼給て前橋より沼田へ御越有りける、其頃高平雲谷寺に御座有つるが、沼田殿さして御取持なくして川田の地領山名信濃守義季、以義在所へ引取奉り笹尾の郷高瀬戸と云所の用害に移し参らせ暫く馳走し泰りけり、其時屋形様と申けるに依り高瀬戸麓を屋形原と名付たり、憲政公此處にも座まし難く彼石倉御迎に參り我館に引取奉り様々の御いたわり申上たり、其後吾妻四萬木根通越後へ退去也ければ後に石倉志の程北條氏政被聞召彼所に知行賜り其上守護不入と被仰下と也、其頃彼村に制札を被下ける。

   禁制

右於當郷假初之狼藉も堅令停止畢、若違犯之輩有之者不恐權門則爲郷中搦捕可申上、並郷中へ申付儀、虎の印形無之ば一切不可致許容、仍後日之定如件

 天正六年戊寅八月廿三日(虎朱印)

堺賀伯耆守奉之

證文賜りける、誠に仁義の道、天道に相叶故、石倉安堵して一門悉繁昌す。

引用元

『加沢記 : 附・羽尾記』 出版者:上毛郷土史研究会

(国立国会図書館デジタルコレクションから)

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