歌碑

 国道145号線を川田小学校から高山村方面に向かい約1キロほど進むと、子持山登山口の場所に円珠姫の歌を刻んだ石碑が立っています。

 表は円珠姫が子持山を詠んだ歌が刻まれています。

 達筆すぎて読めませんが

 

  子持山 紅葉をわけて いる月は

   にしきにつつむ かがみなりけり

 

 と刻まれているのでしょう。

 裏面です。刻まれている文章は以下のとおりです。

 

  円珠幼名小柳、戦国の世永禄三年、沼田

 城主の支族川田四郎光清の息女として川

 田城内に生る、長じて才媛の誉れ高く召さ

 れて沼田城主の夫人曲輪御前に仕えた。

 歌道の教養高く数々の名歌を残したが特

 に子持山の歌一首は時の帝、正親町天皇

 の叡覧に供せられ御感斜めならず

 「上つけの沼田の里に円かなる、珠の

  ありとは誰か知らまし」 の御製を

 賜わって、名を円珠と改めたという。

  天正十年本能寺変後、北条氏邦厩橋入

 城の際和歌の師として場内に居ったが円

 珠は既に病を得て居り送られて下川田町

 宮塚の地に隠棲し同年冬此虞に没した。

 今回子持山登山道の一画に円珠の歌碑を建

 設する所以のものはその歌道における功

 績を追慕すると共に聊か文運の進展に寄

 与したいという念願に外ならない

  昭和四十五年十二月吉日

 円珠歌碑建設委員会

   委 員 長 深津 静夫   裏  書 鬼頭 桃園

   表  書 米倉 大謙   施  工 根岸伊左夫

   選  文 塩野 嘯風   原石提供 大木 文同

 

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