加沢記 巻之一⑨ 長野原合戦之事

加沢記 長野原合戦之事
加沢記 長野原合戦之事

主な登場人物

常田新六郎

 真田幸隆の弟。

 隆永。たぶん。『加沢記』だとココでリタイアだが、あくまで『加沢記』に書かれていることと割り切ること。

 兵士のシフト管理は苦手。

内容

 次の章は『長野原合戦之事』ですね~。短い章ですが、前半のほとんどが人名の列記という、いかにも『加沢記』らしい章ですね。ちなみに次の章の出だしより1か月未来の話になっています。

 

 永禄6(1563)年9月下旬の事、長野原の要害では、幸隆の舎弟である常田新六郎を大将として、湯本善太夫、鞠子藤八郎に加え、援軍として芦田下総守の手の者である依田彦太夫、室賀兵部太輔の手の者である小泉左衛門が勤番をしていました…。

 

 対する齋藤越前守は、白井から援軍を得て、齋藤弥三郎、羽尾入道、海野能登守の3人を大将にして、植栗安房守、荒牧浦野中務、齋藤宮内右衛門、富沢豊前、蟻川源次郎、塩野谷将監入道、割田掃部助、富沢勘十郎、横谷左近、佐藤豊後、割田新兵衛、唐沢杢之助、同右馬介……白井からの援軍として白井八郎、神庭三河入道、牧弥六郎、それに相随う侍として野村靭負、飯塚大学之助、村上杢之助、大島式部、石田勘兵衛…と、都合その勢は800余騎となりました。

 

 齋藤弥三郎と塩野谷将監は暮坂を通りながら白井からの援軍200余騎を加え、都合300余騎で小雨川を渡って湯窪の辺へ押寄せました。

 

 そして、羽尾、浦野、植栗の500余騎は大城山へ登って要害を見下ろし、合図の貝を吹いて鯨波を作り、鉄砲を打ちかけます…!

 

 さて、対する長野原の城中では…

 

城兵A「常田の大将、すいません…ウチら田んぼが忙しいんで家に帰りますけど…」

 

常田「お、おう…そうか。」

 

城兵B「あ、オレも…」

 

城兵C「私も…」

 

常田「え?…そ、そうか…。がんばってな……」

 

…と、大半の者が家に帰っていたので、城の守りは手薄でした。

 

常田「ヤベェな…この少人数じゃ城を守りきれねぇ…!」

 

…と、常田は須川と琴橋の2か所の橋を壊して敵を防ぐ作戦を立てますが、攻め手の羽尾は大城山から材木を調達してきて、須川をたちまち埋めて陸路にし、叫び声を上げながら襲いかかってきます…!

 

常田「クソッ…!!…もうオレがやるしかねえッ!!」

 

…と、自ら諏訪明神の前に出向いて敵を防いだ常田ですが……羽尾と戦い、ついに討たれてしまいます…。

 

常田「…ゲボッ!…農繁期に攻めてくるなんて……人間のやる…ことか…」

 

――長野原要害大将 常田新六郎―真田幸隆舎弟――(死亡)

 

 『加沢記』での羽尾は迂闊(うかつ)なオッサンというイメージが強いですが、あの海野幸光や輝幸といったバケモノの兄に当たるわけですから、ガチで戦ったらきっと強かったんでしょうね~。

 

 長野原は究竟の要害ではありましたが、大将が討たれたうえに守りは小勢、さらに難所だったので鎌原の援軍も及ばず……兵たちは夜中に要害を忍び出て鎌原の城ヘと逃げていきました…。

 羽尾は大喜びで長野原の要害を乗っ取り本領としました。

 

 この件は甲府へ報告されましたが、その頃信玄は越中と駿河へ出兵していたので、援軍も送れず、空しく月日が流れていくのでした…。

 

 

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原文

永禄六年九月下旬の事也けり、長野原の用害には幸隆公の舎弟常田新六郎大将にて湯本善太夫、鞠子藤八郎、加勢は芦田下総守の手の者依田彦太夫、室賀兵部太輔手の者小泉左衛門勤番なりけるが齋藤越前守は白井より加勢を請、齋藤弥三郎、羽尾入道、海野能登守大将にて植栗安房守、荒牧浦野中務、齋藤宮内右衛門、富沢豊前、蟻川源次郎、塩野谷将監入道、割田掃部助、富沢勘十郎、横谷左近、佐藤豊後、割田新兵衛、唐沢杢之助、同右馬介、加勢には白井八郎、神庭三河入道、牧弥六郎、相随侍には野村靭負、飯塚大学之助、村上杢之助、大島式部、石田勘兵衛都合其勢八百余騎齋藤弥三郎、塩野谷将監は暮坂を経て白井の加勢弐百余騎都合三百余騎小雨川を打渡て湯窪の辺へ押寄たり、追手は羽尾、浦野、植栗五百余騎大城山え掛上て用害を見下し相図の貝を吹立鯨波をとつと作り、鉄砲を打懸ける程に城中には民農業の時分なりければ在家に下りて小勢也けれは、須川、琴橋両所の橋を引て防ければ大城山より材木を伐込、須川を一時に埋陸路にしてをめいて懸りければ、大将常田こらへ兼自ら諏訪明神の前に出向て防けるが羽尾と相戦て終に討れ給ひけり、究竟の要害也けれども大将うたれ小勢也、難所の事也ければ鎌原の勢加勢も不及ければ夜中に用害を忍出て鎌原の城ヘぞ集けり、羽尾喜悦して則用害に入替てこそ本領を押領しけり、此由甲府へ注進したりけれ共其頃越中、駿河へ御働有ければ御加勢も難叶空しく月日を過し行けり。